アルジェリアの大衆音楽「ライ」を聴き始めたのは90年くらいからだろうか、ワールドミュージックが話題になり、ジプシーキングスやアフリカのリンガラポップスや、サニーアデ、ヌスラット・ファテ・アリハーン、ブルガリアンボイス、ムスタファズ3(なんか身もふたも無い感じだが)などがどっとポップミュージックの表舞台に出てきたときだと思う。
ライの一番手としてクッシェというアルバムを発表した
シェブ・ハレドCHEB KHALEDが有名だ。彼は何度か来日していて、初来日の渋谷クアトロのライブを見たが、さほど感動しなかった。その翌年だかに再来日して、川崎のチッタでやったライブはなかなかよかった。
ライはもともとアルジェリアのベルベル人の嘆きの唄が元になっているというが、ワールド・ミュージックの流れで紹介された時は、 アラブの荒々しいリズムに乗った演歌のようにこぶしが強く、激しく情熱的に歌い上げる唄、という印象が強いが、さらに現代ポップスとしてサンプリングなどが加味されていた。
そのときはラシッド・ババ「ライ・レベルズ」、ジャバ・ゾアニア、シェブ・マミ、シェブ・タハールなどの歌手も紹介されていた。
私のお気に入りはシェブ・マミで主にフランスで活躍しているらしいが、スティングと共演したりして、ハレドの次くらいにメジャーなのではないか。彼の歌には演歌に通じる歌心が感じられて、その声に圧倒される。
そのときもアルジェリアのイスラム原理主義の伸張が伝えられ、またアルジェリア社会の政治状況の厳しさも知り、ライの行方に不安を覚えたものだった。事実ラシッド・ババ(プロデューサーだが)はイスラムにふさわしくない、として暗殺されてしまった。幾人かの歌手達も海外に渡ったと聞く。
そんなわけで、ライについてはワールド・ミュージックの衰退とともに情報も少なくなり、また新しいcdも見かけなくなり、海外組はともかくアルジェリア本国の状況はまったく知らなかった。私自身も積極的に追っかけることもなくなったので動向はサッパリだった。雑誌のミュージックマガジンあたりはたまに取り上げていたかもしれないが、いずれにしろ大物が海外で活動している状況くらいしかわからなかった。今回ひょんなことからライの女王という女性歌手の来日を知り、すこし悩んだが見にいった。会場は草月ホールなので満員だった。当日券も少ししかないようだった。不思議なのはこういう音楽を聴く層とは思えない人々が来ていることだ。確かめたわけではないので断言できないが、付き合い&外交的接待なのではないか(そういう人が多いと聴きたい人が入れないんだよね)。アラブ人らしき人々もちらほら立ち上がり踊っていた。そうとう高齢の歌手だがパワフルに歌いまくり、完全に圧倒された。アルジェリアの今の状況については説明がなかったが、現在も国家非常事態の宣言がされ山岳地帯でのイスラム過激派の活動が伝えられる。危機的状況であるだろうが今なおアルジェリアで歌い続けているのであれば、それはなによりだと思う。
<アルジェリアの大衆歌謡 “ライ”>
シェイハ・リミッティ ―“ライ”の女王 初来日公演7月10日(土) 18:00
草月ホール全席自由 \5,000
アルジェリア民衆の心を歌う大衆歌謡「ライ」
その生みの親にして国民的大歌手、リミッティによる初来日公演。
民族楽器の伝統スタイルと、バンドによるモダン・スタイルの二部構成。
80歳になってなお、野太い低音ヴォイスとステージ上を飛び跳ねる独特のスタイル、その呪術的パワーで聴衆を挑発する、“ライの母”リミッティ。
「ライ」は、アラブ系遊牧民ベドウィンの民謡が都市の音楽と融合して生まれ、アラブ古典音楽、アフリカ各地の土着音楽、シャンソン、ロック、レゲエ、ラップ等、流入するあらゆる音楽を吸収しながら変貌する現在進行形のアルジェリアの大衆音楽である。その担い手は、若者や労働者たち。恋愛、生活の苦しさ、社会への怒り―そんな人々の熱く切ない思いを力強く歌いあげるリミッティが、本公演で待望の初来日を果たす。
■出演
シェイハ・リミッティ(ヴォーカル、ベンディール[タンバリン])、アバディ・アブデルマレク(ガスバ[木笛])、
ナビル・タマラト(ダルブッカ[打楽器])、ベンマグニア・カメル(キーボード)、
セムグーニ・アブデラフマン(ベース)、ゴッガル・ファテハラー(ギター)、ブゼクリ・アクリ(ドラムス) ほか
■演目
NOUAR(花)、CHARAK GATAA(裂け、引きちぎれ!)、OULAD AL JAZAIR(アルジェリアの子たち) ほか
■シェイハ・リミッティ Cheikha RIMITTI(ライ歌手)
「ライの母」と呼ばれ、80歳の今もセクシーなハスキー・ヴォイスで大衆を魅了するカリスマ。1923年アルジェリアのテッサラ生まれ。孤児として転々と極貧生活を送りながら、厳しいフランス植民地時代と世界大戦を生き延びた。カミュの小説さながらの疫病で荒廃する街を目の当りにして即興的に作った歌が、彼女の初めてのライだった。「不幸な出来事こそ私の教師」と語る彼女の歌は、社会のタブーをリアルにえぐり出す。1950年代からアルバムを次々に発表し、不動の人気を得る。2000年の「Nouar」では、伝統楽器とバンドを融合したモダン・スタイルを生み出し、欧州ツアーでも熱狂的に迎えられた。