古本屋で以前購入した「kawashima club」(85年 編集委員会)という雑誌を読んでいたら、長部日出雄のインタビューが掲載されていた。
この雑誌はどうやら上板東映という邦画をメインとする名画座の川島雄三映画祭の企画で販売されたか、編集されて発行されたものらしい。そこでいろんな記事が載っているのだが、長部日出雄のインタビューが気になった。伊藤雄之助という俳優について語っているのだ。
当然雑誌の趣旨としては川島雄三作品の話を聞いているのだが、川島作品については市川混という映画監督を例に挙げて、巨匠という名称が似合わない監督といっていた。いわば娯楽映画やオーソドックスな映画スタイルを評価してのもののようだ。もっとも初期についてはオーソドックスなものから外れている作品だったとも評価しているが。
そこで
伊藤雄之助という俳優を挙げて、なぜか彼の映画祭があってもいいと語っている。そこで彼をどうして評価するか、という理由については、オーソドックスがわかっているからこそオフビートになり、定石からずれた部分がでてくる、という理由で川島雄三の喜劇の魅力と伊藤雄之助の演技やキャラクターなどが定石の崩し方、はずし方というものと共通のものとしてみているようだ。
「帝都物語」の映画で作者の荒俣宏が、主演の俳優・加藤保憲について伊藤雄之助の若い頃というイメージがあったという。実際は嶋田 久作(しまだ きゅうさく)が演じたわけだが、確かにかれはそんな雰囲気がある。
伊藤雄之助は晩年も『太陽を盗んだ男』(1979年 / 長谷川和彦監督)映画にも出演していた。バスジャックして皇居に突撃しようとする犯人役を演じていたが、このエピソードはべつに映画の主役の爆弾をつくる動機とか、ストーリーにとくに関係するとも思えなかったが、へんにインパクトがあり、記憶に残るものであった。