『<前衛詩>の時代―日本の一九二〇年代』(小俣祐介 創成社)を読んだ。
日本の前衛芸術や運動が1920年代に錯乱してさまざまな表現が試みられた。そのなかに詩という文学も確実にあり、それは前衛というよりも同時代的な表現であった、というのがこの問題意識で総花的に紹介しながらも時代のリアリティや当時の事件と交差することにより、詩と詩人たちのうごきをあとづけている。
だいぶん昔に萩原恭次郎の『死刑宣告』を古本屋で偶然みつけた時に新鮮な衝撃をうけたのだが、そのときの想いが、この本を読みながらよみがえってきた。
この本を読んでさまざまな詩人と詩に触れたが、そのなかの一遍を紹介しよう。
私の手は一つ
私の呼吸は一つ
私の心は一つ
しかし 今夜
無限に
私の手は伸びる
私の呼吸は弾む
私の心はうちひろがる
何故?
月が出て
地と空の一線を
物とこゝろの境を
彼方此方の遠近を
柔らかな繊手の中にたゝんだ
自然にかへれ―――と哲人は云ふ
かゝる夢の時―――と詩人は誦ふ
(二重省略)
かくて 今
私の手は無数
私の呼吸は無数
私の心は無数
(「MINIMUM-MAXIMUM」)
平戸廉吉平戸廉吉は肺患によって27歳で夭折した詩人で、肺患というのが、いかにも時代と文学という雰囲気を示している。その他の詩では「日本未来派宣言運動」や「合奏」などが印象に残る。
欧文と記号を多様して、20年代の都市の光彩をあらわすような、エキセントリックな詩だ。