日本の伝統的木造建築の黄金時代というのは、実は「明治のなかごろから昭和へかけて」(村松貞次郎)という。
これは『
近代和風建築』(村松貞次郎+近江榮編 鹿島出版会 1988年)のまえがき的な文章のものだが、封建制が崩壊して明治維新で近代へ突入する時代が刺激的であったという。
「腕自慢や一旗組が仕事を求め、名声に憧れ、活況の地を望んで自由に国内を移動できるようになった(中略)大工が集まれば、その腕自慢に応えてこれまた自慢の道具鍛冶が集まり、その道具を扱う金物屋も生まれる。熱い競争に意地を張る大工たちの難しい注文に応えて鍛冶猛烈に精を出し、名棟梁たちの名とともに千代鶴とか石堂などの鍛冶の名工の名も高くなる(中略)可能性を拡大した江戸の延長・発展でもあった。そして、それを火に油をそそぐように西洋建築の意匠と技術が刺激して」
ということでこの本で近代和風として紹介されている建物も、純和風の木造建築だけではなく西洋建築を取り入れたものもいくつか紹介されている。
そのなかで「鯛よし100番」(飛田百番)の建物が掲載されていなかったのが意外ではある。実は写真集『
飛田百番 遊廓の残照』(橋爪 紳也監修 上諸 尚美写真 吉里 忠史文 創元社 2004)をみると大阪ではかなり有名なとこらしく、規模はちいさいが目黒雅叙園的な遊興所のようだ。
さて、数年前に実物を拝見し(残念ながら内部には入ってないが)、単なる建物ではなく周囲の環境そのものが、建物を成り立たせていると感じたものだ。
その理由は書かないが、そのような建築環境が現代には求められていると思う。私的利害が入り組んだ現代の街路のなかで、いちばん困難なことなのだろうが、街の色と建物の一体化、これが大事なんだろう。