東宝映画の怪獣たちで異彩なのが
モスラだ。南海の孤島の守り神として崇拝されている蝶々のおばけである。双子の小美人と意思疎通をして、彼女らが「モスラーゃ、モスラーゃ♪」と、唄えば南の島からやってくる。子どもの頃にこの映画を観て、南海の神秘や冒険譚という趣きがあり、えらく興奮したことを覚えている。
『
モスラの精神史』(小野俊太郎著、講談社現代新書、760円 税別)には、そのあたりの謎解き的なことを期待した。
実は原作が『発光妖精とモスラ』という、純文学の作家たちの作品なのだが(中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の3人による共同執筆)、原作と映画の違いなども考察されている。
原作は未見だが、その小説世界は、かなり映画へと移植されているようだ。
南海にいって見世物を探してくる(目的は調査らしいが、興行師が目的をすりかえる)、というスタイルはキングコング以来の植民地からの未開発見という帝国主義の眼差しであり、オリエンタリズムでもある。
モスラはそのかたちを踏襲しながら、興業師が最後に仲間割れを起こしたり、南洋の島の人々を殺害したことへの妄想がでてきたりと批判的である。
戦後史とその精神史を跡づけることによって、モスラの時代の意味が解き明かされる。なかなか見事な手さばきではあるのだが、もうすこし物語の普遍的な神話性のことを書いてほしかった。