年があけた。
たまたま年越しというか、帰省するバスのなかで阿部謹也の『
日本人の歴史意識―「世間」という視角から―』(岩波書店 2004年)と柴田三千雄の『
パリコミューン』(中央公論社 1973年)を読む。
お正月を迎えるにあたり「世間」というものを対象化する手引きを読んだのはよかったと思う。というのは阿部にいわせると、日本人の歴史意識は「世間」にもとずいている、というより生活や行動の規範が「世間」にあるという。
三つの行動原理をあげて説明している。
贈与・互酬(おごり、おごられること)
長幼の序(目下の者を軽んじること、年寄りが威張ること)
共通の時間意識(みなひとつの時間内で生きていると信じていること)
これらは日本人にとっては当たり前のことのように見えるが、実は外国、ことにヨーロッパの個人主義の国からみると奇異なものと写るようだ。
そして、「世間」の中の日常生活に歴史はほとんど影を投げかけていない。私たちは歴史とはほとんど無縁な形で日々の生活を送ることができるのである、と断じる。
「歴史は災害などと同様に突然外から日常生活に襲い掛かってくるものとして位置づけられていたのである」(P189)
E.H.カーの『歴史とは何か』の引用があり、
カーじしんブルクハルトを引いて「意識のめざめによって生じた自然との断然」といっている。これは人間社会を自然と一体なものとして捉える日本人の考え方とまったく離れている。
そして日本社会の「暦」を考察して、すべての記載事項は円環の中に位置づけられているという。このような毎日を円環的な時間意識のもとで送っている日本人がが直線的な時間意識を中心としてうまれてきた歴史学をどのようにして受容れることができるのか、と問題提起する。
歴史意識が
「『社会現象を時間的契機においてとらえ、その推移に主体的に関わっていこうとする意識』だとすると日本の『世間』には見られないというほかない。『世間』のなかで暮らす人々にとって歴史はせいぜいどこからか突然襲い掛かってくる出来事であり、やりすごすしか対抗手段は見当たらないという種類のものであった。しかし、現代にに生きている限り、歴史とは日々切り結ばなければならない。
たとえばイラク戦争にどのように対処するかといった問題にひびかかわらざるをえない』((P148)
そして政治家たちはこのような問題に対しても「世間」の中での生き方を基本にして対処しているように見える、という。そもそも「世間」の中の住人に、ヒューマニズムや普遍主義の観点から批判しても無駄であり、「世間」というものは人間関係に尽きているわけでそのような原理は存在しない、という。
この意識は戦争の問題を考えるうえで示唆的である。
さきの大戦で日本が侵略国家である事実を否定したりする言動がでてくる基盤もここにあるようだ。
また戦争責任に対する意識もまるで戦争を「突然襲い掛かってくる出来事」であったかのようにとらえて、自然災害のような現象として認識しているようだ。
だから、「あの当時は。みな苦しかった」とか「悲惨な体験だった」と被害者的な意識しか醸成されていないようで、日本国家と日本人が起こした戦争である、という主体的責任意識がでてこない。
2009年の念頭に絶望的な展望のない話を書いたようだが、結局のところ身のまわりの「世間」に対して屹立して、相対化して付き合うことが日本人に、求められているということが確認できたと思う。
歴史は過去ではなく「今」この生きている時間そのものが「歴史」であり、時代なのだと思う。「世間」はそのような瞬間に対して、別な世界を対峙して、そこで生きさせようとする。そのシキタリを守らないと駄目だと錯覚させる。
個人的には「世間」とは無縁と思って生きてきたが、かといってまったく独自に生きているわけでもなく、あらためて「世間」からはみ出していくことの重要性を思い知らされた。