Excite エキサイト : 社会ニュース 中日新聞では
加藤周一氏が死去 幅広い評論、「九条の会」
2008年12月6日 03時24分 と見出しに正しくある。
毎日新聞夕刊には
「加藤周一さん死去:国際的な知識人 「九条の会」一貫した主張」
毎日新聞 2008年12月6日 東京夕刊 マスコミは九条の会を無視するか、黙殺する傾向があるが、それこそ晩年最後活動としてはおおきなもだったはずだ。きちんと伝えるべきである。
黙祷。
Excite news すべての公務員の賃金を年齢給与として役職などでの差を認めないものとする。年功賃金には賛成しないが、他にかわるものがない以上は、年齢による基準しかないだろう。あまり差をつけなければいいのだ。そして公民への奉仕の仕事なのだから、むしろ役職による差をつけてはいけないのだ。だから首相以下、国会議員の給料も同様の賃金水準に一律におこなう。
これやったら受けると思うよ。小泉さん。
教職員の給与だけを引き下げるのはオカシイでしょ。
Excite エキサイト : 経済ニュース 国内のネット人口は増加する一方だが、匿名性が高いために自殺サイトの増殖や爆弾の作製方法がネットに公開されるなど、犯罪につながる有害情報があふれている。総務省はそうしたマイナス面を排除し、ネットを経済社会の発展につなげていくためには、実名でのネット使用を推進し、信頼性を高めることが不可欠と判断した。
実名でのネット使用を推進するだけで、信頼性が高まるだろうか。
まず、偽名でのネットが増えるだろう。それで名前自体を信じなくなるだろう。
あるいは実名ネット使用に無料のドメインを与えるとかしないとダメだろう。
信頼性についていえば、ネット利用者が信頼できるためのデータなり情報を自分で取得する方法や基準を獲得するしかないだろう。
閉じられた空間なり、世界であれば、それも可能だろう。しかし、この社会はいろんな人間がいる。その反映としてネットがあるだけである。
「そうしたマイナス面を排除し」ということは結果として管理や検閲をしたい、ということにつながるのではないか。
マイケル・ムーアの
ボウリング・フォー・コロンバインは、アメリカのコロンバイン高校の銃乱射事件を起こした少年たちが、犯行前にボウリングに興じていた、というエピソードにヒントを得てタイトルにしたのだが、映画のなかでもボウリング場が簡単に紹介されていた。
そういえば高校の修学旅行のときに旅行先で、自由時間にボウリングへ数人連れ立っていったやつがいたことを思い出した。そのときは何を好き好んで旅先まで来てやるかよ、と思ったが、そこは、それぐらいしか遊ぶところがないのだった。
私的な思い出を語れば、ちょうど中学から高校までがボーリング全盛期だったと記憶している。高校の夏休み、バイト先の会社でレクレーションでボウリングが盛り上がっていたのを、なんと大げさなものかと思って聞いていたことも憶えている。
要するに、周りはすごいブームだったのだが、その流れに乗れなかったのである。
テレビでもボウリング大会などを中継していたときもあったが、どこが面白いのかわからなかったのである。
もちろん、誘われてやることはあったが、温泉地のホテルで浴衣のまま投げたりする、というような酔ったいきおいでの遊びであって、スポーツという意識は毛頭なかった。
今は一時のブームは去ったが、そこそこ余興のひとつして定着はしているだろう。
この映画のポスターは、ボウリングのピンが床に反射していて、それが弾丸の弾になっていて秀逸だと思う。なんでもアメリカのオリジナルはべつだん普通のもので日本の配給会社が新たに作成したものだという。そこで改めて認識したのはボウリングのピンの美しさで、きれいな曲線もっているオブジェだなぁということ。
ビッグ・リボウスキ/The Big Lebowski(アメリカ・1998年) という映画を最近みた。コメディの秀作といいながらあまり笑えない映画だが、湾岸戦争への風刺や70年代の郷愁が感じられた。
舞台になっていたのが
ボウリング場で、そこでくだくだしているオヤジたちが主人公なのだが、その映像描写とボウリングのピンがはじけるシーンとか、カメラ自体が玉となり指の穴からくるくる廻ったりするのを見せたりと、デティールを細かくとらえていた。
そこで気になるのは、やはり、あの
ピンである。
たいていボウリング場はどでかいピンが建物の上にそびえたち、ひと目でボウリング場だとわかる。あのスタイルは世界共通ではないかと思う。
また、おそらく70年代のスタイルがボーリングの場の基本デザインなのだろうが、サーモンピンクがメインとなる配色や流線型のインテリアなど、70年代の特徴的なデザインが溢れている。そういえばモビールなどオーガニックな不定形のデザインを正面からとらえられているのが70年代だったと思う。
ボウリングに象徴されるのは豊かさのシンボルとしてアメリカであり、消費社会の見本としてのアメリカの夢などではあるまいか。
映画「仁義なき闘い」北米で甦る| Exciteコネタ 何故かアメリカのオタクに映画「仁義なき闘い」が人気だという。
オタクが注目するニッポンものとしてソニー千葉のカンフー映画であるとか、ゴジラなどの怪獣モノ、セーラムーンや宮崎駿などのアニメが上げられるが、意外にも深作のヤクザ映画も人気なのである。
なぜなのか?
純粋に映画として面白いから、ということではないか。オリエンタリズムのような受容であれば、もっと以前の着流しやくざ(山下耕作や加藤泰などが監督した映画)の映画がはまるのだが、そのような義理人情のしがらみ、善と悪を明快にしている映画ではなく。アナーキーで殺伐とした現代やくざ映画に人気があるのというのは、ある種マカロニウエスタンを受容するような感受性や、ゾンビ映画のような即物的・虚無的な嗜好があるのではないだろうか。
最近、街のレンタルビデオ店がつぶれている。
私自身は今はほとんどビデオを借りたりすることが少なくなった。別に私がそうだからというのではなくレンタル需要が減少しているのではないか、まあ、あまり見たいものがないというのは事実だ。
それにいちばん大きいのがDVDソフトの販売ではないだろうか。秋葉原をのぞくと日本の未公開のアニメや映画が安い値段で売られている。
すこし前の作品なら千円程度で販売している。借りて返すのもめんどうだから、いっそのこと購入するか、ということになんだろう。
何度も見返すことはないと思うが、ソフトが個人で所有する傾向は増えているだろう。それに比例してレンタルは需要が減っていることは事実だろう。
しかしパッケージとしての映画ソフト販売がどの程度の売り上げか知らないが、映画の見方が一般的になるのが映画館ではなくDVDソフトからだと、ちとさびしい。
マイケル・ムーアたちがブッシュを落とすために、キャンペーンをおこない選挙に行かない人たち(関心のない人、絶望している人いろいろだと思うが)にいこうという気にさせて、選挙人登録までおこなわせたりしたことの功績は評価されていいと思う。
しかし、ケリーが早々と敗北宣言をしたのには、民主党の限界を感じさせたと思う。本来はラルフ・ネーダーを対抗馬として押すべきだったのだ。
オルタナティブとしての対立候補が必要だ。
8月31日に渋谷VUENOSというクラブ(?)でルーマニアのジプシーブラスバンドの「ファンファーレ・チォカーリア」を観た。地下2階くらいのところにちいさなステージとフロアがあり、初めていったがちょっと狭いなと感じた。オールスタンディングなのでしょうがないか。
若者が多いが特定のファン層がいるとも思えない。演奏はオヤジのパワー炸裂ということでノリノリだったが、もうちょっとアドリブを入れてソロを聴いてみたいと思った。これも長年ジャズを聴いている悪癖だろうか?
彼らを描いた映画があるがこちらは未見
詳細は
プランクトン