ロシアのサイケな建物
フィンランドのトンでもランド
エロティクの規模がおおきすぎた
川口探検隊はマジで探検していたのだろうか
左卜全=ほんとうの奇人
昔のプロレス
ハニベ岩窟院など地獄を見せる施設
からくり芝居から絵解きへ
脱力系観光の困難さ
脱力系観光名所を巡る旅

ロシアのエカテリンブルグ近郊の鍛冶屋の家。
鍛冶屋をつくった亭主はなくなり、今はかみさんが家を守っている。
元ネタ↓
http://englishrussia.com/index.php/2007/08/16/a-blacksmiths-house/
写真をみたとき、またタイあたりの寺院の境内が公園かと思ったが、違った。フィンランドにある人間の彫像が立ち並ぶ庭。これもアウトサイダーアート。共通するのはプリミティブな造形のスタイル。ただちょっと雰囲気が寒々しいというか、寂蓼感があるのは北欧だからか。

これをつくったのは元製紙工場の労働者だった人で、1961年に最初の人形をつくり、その後は自分の庭に450体の彫像を出現させました。入場無料らしいので興味のある方はぜひ訪ねてください。
The Sculpture Park of Veijo Rönkkönen Is the Weirdest Place in Finland
http://www.odditycentral.com/pics/the-sculpture-park-of-veijo-ronkkonen-is-the-weirdest-place-in-finland.html
中国の「性」のテーマパーク、市当局の命令で撤去 | Excite エキサイト フランス・パリの歓楽街にあるエロティク博物館にいったことがある。街中のビルにあり、美術品がメインで、さほど欲情を刺激するようなものではなかった。
日本の温泉地にもいろんなかたちで性の享楽的な施設があった。ストリップ小屋、ポルノ映画館、ブルーフィルム上映会、もちろん女性をあっせんする置屋。
そのなかで学術的なものと娯楽の要素を混ぜたものに「秘法館」がある。かつては日本各地に存在していたが、減少傾向にあるようで、それは日本の温泉が団体旅行などが衰退していることと一致している。
熱海秘法館にいったことがある。
温泉地熱海に熱海城をでっちあげて、そのなかを秘法館という名称の性の展示館としているのである(博物館というほどのものもなかった)。
まあ、しゃれである。温泉地で解放的になっているので、とか、まあ観光のついでである。もちろんメインにはならない。それがいいのだ。
中国のテーマパークは完成したら世界一の規模になったかもしれない。ちいさな施設であれば当局ににらまれることもなかったが残念!
昔お笑いネタで「川口探検隊」のことあつかったのがあった。
水曜スペシャルで年間四回くらい特別わくで放送していたと記憶するが、ギミック的なドキュメンタリー(擬似ドキュメンタリー?)で、危機的状況がかならず挿入されて、記録番組としては過剰すぎる演出と独特なナレーションにより相乗効果をあげていたが、さすがに「やりすぎ」「常に正体があかされない」など、子どもでも不審におもわれる毎度おなじみパターンにだんだんと飽きられてきた(と思う)。
あらためて特異なナレーションが、見世物小屋的な一種の語り口・口上として成立していることにニヤリとするであろう。
嘉門 達夫の『ゆけ!ゆけ!川口浩!! 』という唄が代表的だと思う。
色川武大の『懐かしい芸人たち』(新潮文庫)に、左卜全のことが書いてあって「本当の奇人」とあったのが記憶に残っている。なんでも老師という神道のあやしげな宗教者に収入のほとんどを注ぎ込んでいる、とか、足の病気があり松葉杖を使っていたが、バスに乗り遅れそうになるとその杖を小脇に抱えて走り出し、人を追い抜いていった、など伝説が多い。
たまたま卜全の妻が書いている伝記『奇人でけっこう―夫・左卜全―』(三ヶ島糸 文化出版局 1977年)という本をみつけて読んでいるが、やはりかなり風変わりな人生だ。「本当は孤独な瞑想家」だと書いてあり、確かに仙人然とした風貌だが、苦悩も併せ持っているようだ。精神的な疾患に悩まされて続けていたとある。
子どもの頃から夕焼けの美しさにじっと見とれて何も手につかなかったりして、それを他人から頭がおかしい、と云われていて、本人は「精神の高貴なことを理解されない」と嘆いていたらしい。足の悪いことを「役者が『病気そうだ、気の毒に』と同情されたら終わりだ」と語って、あえて仮病伝説を否定しなかったという。
老師という宗教者についても、精神的導師ながら「腸が煮えくり返る」ほど憎んでもいたらしい。収入のほとんどを貢いで、なおかつ老師の家に寄宿して教えを受け、身の回りの世話や命じられるがままに労働をしていたという、まったく奇妙な生涯だ。
彼が結婚したのも、その老師が亡くなって自由になったためだという。
今でも黒澤明監督の映画でひょうひょうとした老人役の演技をみることができるが、確かに尋常ではないムードがある。
また76歳にして「老人と子どものポルカ」というレコードを吹き込み大ヒットさせた。
まったくナンセンスな唄で、特に意味は認められないが、いっぽうでこの曲が発表された当時の新左翼の内ゲバを風刺したものだ、といううがった見方もある。ともあれ波乱の時代を反映した曲であることは間違いない。
確かに歌詞には「やめてけれ、ゲバ、ゲバ」という部分がある。ただ最後の部分に「神さま、助けてパパーヤ」というのは左卜全向きかもしれない。じっさいこの唄に左卜全の不思議な持ち味がマッチして、この唄がヒットしたのだろう。
今週はずっと国会図書館に日参していた。調べ物をして複写するのが目的だが、合間をみて昔の週刊誌、グラフ雑誌をひろい読む(といってもいちいち貸し出し申請をして出してもらうのだが)。
プロレスについて観戦(主にテレビだが)していた時期があって、雑誌のみを立ち読みしていたことがあり、それを思い出していた。
昔…。といってもも時期によって、隆盛をきわめているのが変わってくるので、一概にはいえないのだが、国会議員だった大仁田厚が標榜していた「大道芸プロレス」を傍らで見ていた。
彼の自主団体FMWは、なぜか見世物的な設定にこだわっていた。遺恨試合など物語性をオーバーにしたてて(今のWWFというアメリカのプロレス団体と共通している)、ギミック満載のパフォーマンスをおこない、バカバカしい勝負を毎度繰り広げていた。
水上デスマッチ、普段着のまま凶器ありのストリートマッチ、有刺鉄線電流爆破デスマッチなど、基本的に椅子や机が壊れないと試合が終了しないような有様であった。それはショーという洗練された名称ではなく、あくまでどろどろとした、胡散臭い前近代的な人情がらみの見世物世界であった。
1990年ごろの「週刊プロレス」や「週刊ゴング」を見ると、大仁田厚がプエルトリコで刺された現場写真が掲載されていたりと、ともかく流血のない紙面はなかったのではないか?
大真面目に取材記事が掲載されているが、このような記事がプロレスの伝説を形成するのに威力を発揮したのだとあらためて思う。雑誌やスポーツ新聞が大騒ぎを起こしてそれがリングのプロレスラーと読者をまきこんで独特な物語の世界をつくっていったのだろう。
のぞきからくりについて調べていたら、からくり芝居というものがあり、江戸の中期に竹田芝居が上方で全盛となって、それは「からくり芝居」と呼ばれるものだったという。なんでも小屋掛けのしかけのある芝居だったようだ。それ以後はガラスをはめてのぞくような仕掛けの屋台が出回るようになったという(山本慶一「のぞきからくりと写し絵」、『えとく』白水社 1982年 所収)。
ところで内容的には歌の説明によって物語が進行するもので、紙芝居と共通するものがある。紙芝居は語りがメインであり、歌や囃子のような調子の説明はないが、物語を語ってひきつける話芸の面が強い。
ともかく絵などを使って語り、物語りを説いていくのは、なにかルーツがあるのだろうと思っていたが「絵解き」というものがあり、どうやらそれが大元らしい。
これは系図を指し、絵巻をくりながら、一つの物語が説かれていく。この「絵解き」はのぞきからくり以前の中世に発生した話芸であり、多くは仏陀の教えをとき、それは教訓であると同時に娯楽としても成り立っていた。この話芸の伝統は当然その後の見世物の口上にも引きつがれ、のぞきからくりにも反映されたであろう。絵をみながら話をきく、そういう意味ではこの「のぞきからくり」は「絵解き」の系譜であり、「写し絵」や「紙芝居」、はたまた「映画説明」にもつながるわけだが
(山本慶一「のぞきからくりと写し絵」、『えとく』白水社 1982年 所収)。
ただ資料的には直接それを示すものはないという。
しかし先行する見世物的なものの話芸として「絵解き」があり、その意味でのぞきからくりの面白さの根源を探っていたら、「絵解き」があったということだ。
仏教世界を説明する「絵解き」の芸能化・大衆化としての「のぞきからくり」「紙芝居」であり、ある意味、俗化ということだろう。
非日常的世界の話に人の心を魅了してしまう話と絵について前近代の人間の想像力が見出せるのだが、それは今日でもつがながるものだと思うが、それを説明するのは難しいかもしれない。
ただ、思い出してほしい。子どもの頃「黄金バット」紙芝居をみて興奮したことを。ナゾーだったか敵の首領が、物語に登場している少年たちや防衛隊などに襲い掛かかる瞬間、危機一髪というところで次回の演目であると告げられ、「また今度」と紙芝居のおじさんに言われて、友達と今後の展開などを予想しあったりしたことを。テレビがあっても、そのような実演の語りに魅了されたことを。おじさんの語り口が聞き手の想像力を刺激して、動かない小さな紙芝居の絵であっても子ども頭の世界には黄金バットが空を駆け巡る無限の空間が生まれているのだということを。
脱力系観光について書いたが、実践するのはけっこうむずかしい。
あちこち行ってる人のサイトをのぞいた。
ポンチハンター たとえばかつて雑誌『ブブカ』の「日本退屈愛好協会」に掲載されていた「板橋区淡水魚水族館」もすでに閉館(2004年3月末閉館)されていた。また「ゆうもあ村」もすでに廃墟と化している。
むずかしいのは退屈な存在であると認識された時点で存続が危ぶまれている、ということだ。
きょうび無駄に人を養ったり、赤字つづきを放置して電気代などの維持費を支払い続けることはありえないだろう(残念だけど‥)。
ほんらいの観光の魅力が喪失され、寂れ度が充満した段階で訪れるのがベストなのだが、それは現代において見極めるのがむずかしい、ちょっとでも時期をはずせば、すぐに閉館して売却されるか廃墟となってしまうからだ。廃墟マニアにとってはそれもアリだろうが、こちらの嗜好としてはさびれゆく過程や終焉の寸前ともいえる一抹の寂寥感というものが、なにより魅力なわけで、これはまったくの廃墟とは別なものなのである。
そんなわけでそのかすかなチャンスを狙って訪れなければならないからたいへんなのである。
たぶん椎名誠がデビューしたあたりだと思うのだが、昭和軽薄体という名称で軽いタッチのエッセイなどの文章を指して使っていたと記憶している(今はあまり使わない、というよりフツーになった)。ルーツは東海林さだおあたりだと思う。どうでもいいことくだらないことを真剣に考えて向き合うようなことが手法のひとつではなかったか。そのなかでたとえば紀行文などは、基本的にはいろいろためになるような情報があったり、考えさせられたりと結果としてプラスになるものであるが、どうころんでもいいところがない場合もある、そんなマイナス方向の観光を文章によりプラスにするスタイルがあったと思う。これを脱力観光紀行文と呼んでしまおう。
宮田珠己の『
晴れた日は巨大仏を見に』(白水社 2004年)は、脱力観光紀行文の典型ではないだろうか。もちろんマイナスではないが、しかしプラスの成果があるわけではなく楽しめると約束もされていない(事実、冬にいって仏像の中の観光がお休みというときもあった)。むしろそのような巨大仏像という非日常の風景とその取材工程を記録して、対象だけではなくそのときの場の空気そのものも文章化してしまうというものだ。
都築響一の「
珍日本紀行」もそのような文脈はあるが、マイナス、プラスの差はなく取材されることがプラスとして存在している。その場が紹介されることが観光名所として認識するしかないが、しかしてその実態はいかに? ということがあると思う。
その概念を推し進めると「
日本退屈愛好協会」の方向へと進化(?)してしまう。
『転がる日本にバカ満ち足りて ―あきらめの楽園へ』(大黒 秀一 WAVE出版 2003年)は雑誌「ブブカ」に連載されていたものをまとめたものであるが、観光地やテーマパークがいかに退屈なものかを点検・確認しにいったもので、ここまでくるとそもそも観光スポットそのものがダメなものとして認識しなければならず、またそれがただしいありかたではないかと思えてくる。
宮田珠己の『晴れた日は巨大仏を見に』に戻れば、ここでは40メートル以上の仏像を強大仏と定義している。なんでもウルトラマンが40メートルであるところからきているようだが、もちろん勝手にきめているだけである。
ただ、40メートル以上だと人間のリアルな縮尺感覚ででかいなと意識するサイズではあるだろう。
これについては大黒氏の前掲書にも掲載されているので比較すると、大黒氏のほうが詳細に報告されていて、また細部にわたり考察されている。
東京湾観音/千葉県富津市 また珍寺大道場にもレポートがある。
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/tokyowankannon.html また、世界平和観音というのもある。
世界平和大観音/兵庫県東浦町 どうやら信州にも似たような名前があるが、こちらは東洋一という触れ込みであり、今は残念ながら写真でしかみることができないが(2007年5月閉館)、遠くからみるとけっこうインパクトがあり、近寄るとガッカリするようだ。
世界平和大観音像・淡路島 [神戸観光壁紙写真集]http://kobe-mari.maxs.jp/awaji_city/heiwa_kannon.htmhttp://homepage2.nifty.com/isso/awaji/awaji.html