昨日三一書房の争議解決報告集会に参加。
組合員は2名だが、前の争議のときのOB組合員がいて、それに対する支払いなども遅延していたようだ。前の争議が勃発してから10年以上経過している。結局争議が和解して会社へ戻ったが、やはり問題が発生して二次争議となってしまった。
細かい話はよくわからないのだが、岡部社長というのがそうとうな人間らしい。三一書房とは別に派遣会社を別につくってそこから社員を派遣させるようにしたらしい。ここ一年以上はまったく本もだしていなかったし、神保町の古本屋街へゾッキ本として三一書房の本が流れていて、やばいなぁと思いつつ、別に事業はやっていたのか。いろいろ財産もあるようでどうやって食べているのか不思議である。
どもかく今回の争議については労働組合の側が経営から三一書房の事業譲渡と労働債権などを交換したようだ。それで労働組合が事業をおこなうことになった。とすると労働組合自体が無くなることになるわけだ。まあ、労働者たちが経営するというのはなかなか大変だ。時代は厳しいがともにがんばろうと思う。
今日はとくに出かける用事はなし、借りている本を読む。
『勃発!第三次世界大戦』ベンジャミンフルフォード(KKベストセラーズ 2011年)。この本は4月に出してもうその月に2刷りになっている。売れている。実は予約待ちが10人以上いて、リクエストも多いので貸し出し延長はできないとの但し書きの紙切れが挟んであった。人気あるね。
この人気は当然ながら怖いもの見たさ、昔の「ノストラダムスの大予言」に通じるような恐るべき展開を楽しむような気分がある。まあ、いわゆる陰謀論なんだが、この人の本はだんだん精度があがってきたようだ。それはジャーナリストとして取材を重ねてきた結果であり、喜ぶべきことだが、この程度ではまだまだ不十分だ。
かんたんに言えば、この世界には「闇の支配者」がおり、それらの一握りの人たちが世界をコントロールしていると、そして第三次世界大戦を目論んでいたというのが、この本のあらすじである。
アメリカのパパ・ブッシュなんかが「闇の支配者」=ルシファリアン(悪魔崇拝者)らしいのだが、その説明や根拠は省かれている。
その闇の支配者の存在に気づいた彼が、人類絶滅計画などの文書を暴露し、反対勢力の形成などが説かれている。現情勢としては「影の世界政府」のトップが不在であり、闇の支配勢力が分裂、それぞれハルマゲドン=世界大戦計画を進めている、というのが現状らしい。
しかし、そうとう粗雑なんだが、やたら人気があるのはなぜなんだろう。
突然雨が降ってきた。天気予報ではまったく雨の予報はなかったが、いわゆるゲリラ豪雨である。窓もあけていられない、ものすごいスコールである。日本は亜熱帯化したな。
もう一冊は『天皇財閥』吉田祐二(学研 2011年)。こちらはまともな本で、天皇・皇族と日本資本主義の流れを結びつけて解説した本です。しかし天皇がらみの財閥形成の話は170ページからで、その前は日本経済の発展史みたいな記述がつづく。日本の経済・運営が国家によって育成・発展させられて、それが国家=天皇制という論理になっている。
天皇についての議論はよく整理されていて、保守派が描く立憲主義で軍部の横暴に耐えた人という天皇像と能動的で独裁的な決定もおこなうヒロヒトという左から描かれる像があった、という。彼自身は中間的な存在なのではないかという。しかし、人間は単純ではなく、単なるロボットとして振舞うことも苦痛だろうし、まったく独裁的に自由勝手に振舞うのも、よほどの自信家や英雄的人物でない限りは、不安も覚えるだろう。両方あったと見るのが正しい見方ではないか。つまりある面では軍部や官僚たちに従い、ある局面では自分の意見をいい、自己主張して自己の存在を示す、そういう綱渡りをおこなうことが君主としての王道なんだ、ということを帝王学として学んでいったのではないか、と思っている。
天皇財閥としては、誰も代表者がいない日本の企業と日本の代表者(象徴)ではない天皇という存在が。戦後に日本企業にある法人資本主義(奥村宏)と日本社会の相似として符号する。
全体としては財閥じたいの具体的な輪郭よりも、日本的な資本主義発展と現代日本企業のあとづけに天皇のつながりを見る、といった感じで、よく勉強しているが、独自の視点なり発見はない。
海野弘は陰謀好きだ。ここ数年は内外の陰謀論を渉猟している。
『陰謀の世界史』 『スパイの世界史』 『陰謀と幻想の大アジア』 などがある。基本的にデカダンの人なんでどうしても怪しい裏の世界に関心が向くのだろう。そういえば西海岸のヒッピーの精神世界を覗いた本なども一風変わった本にしあがっていて、この人らしいと思った。
さほど陰謀論は信じていなさそうだが、それを楽しんでいるところが面白い。まあ、普通の人たちだってノストラダムスの大予言で大騒ぎして、そのくせそれに向けた行動なり計画をしている人はまったく見なかったが…。
ところで 『陰謀と幻想の大アジア』 (平凡社 2005年)では満州国の第一章から「フグ計画」という満州でのユダヤ国家の形成の話から、二章のウラル・アルタイ民族の「発見」とハンガリーと日本のつながり、ツラニズムという民族圏の夢。
日本人・日本語の起源(三章)では、怪しげな日本語の起源論を探り、主観的な思いつきの「騎馬民族説」を満州滞在から想像されたのではないかと推察する(四章)。
そして大アジア主義と馬賊・大陸浪人と内田良平の「アジア連邦」構想を紹介している。
柄谷行人の新著である『
世界史の構造』(岩波書店 2010年)を読んだ。著者のこれまでの主張の集大成のようなところがある。交換原理を人類の社会と歴史の基礎としてみる視点はユニークだが、論証がうまくいっているかは疑問。やはり近代に絞って考えたほうがいいだろう。その意味で前半は飛ばして読んでもいい。最大の難点は変革主体形成が可能なのか?というところ。著者によればこれまでのルカーチなどの階級意識を追及して党を組織するスタイルは、資本=国家=民族(国民)の枠組みから抜け出ることができない、という。それはナショナリズムや国家を強化することにしかならない、と語るが、かといって消費者としての労働者が何によって組織されるのかいまいち判然としない(啓蒙的な世界市民なのか?)。カントの理念的意識化だけでは人は結集できないのではないか。そのあたり階級の問題として掘り下げられる必要を感じた。
スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)の本を続けて読んだ。だいぶ以前から紹介されていたが、読んだのは比較的最近だ。やたらポップカルチャー、特に映画への言及や引用が多いので文化論左翼かと、ちょっと敬遠していたが権力問題にも踏み込んでいる。『人権と国家――世界の本質をめぐる考察』(集英社[集英社新書], 2006年)、『迫り来る革命――レーニンを繰り返す』(岩波書店, 2005年)、『ポストモダンの共産主義』(筑摩書房[ちくま新書], 2010年)『革命』、それと今読んでいる『大義を忘れるな』(青土社, 2010年)だが、この人はちょっとスターリニストぽいが、おおまじめにマルクス主義の革命を唱えている。彼は人種差別の人にいくら現実の黒人やらユダヤ人を見せても変わらないだろうという、なぜなら差別主義者は現実ではなく幻想を見ているのだから―だとすると貨幣への幻想を断ち切る可能性はあるのだろうか?ただの紙切れである紙幣を信用している我々は紙くずになるかもしれないものを毎日せっせと溜め込んでいるのだが…。
引越し完了した。まだ片付いてはいないが、ともかく新天地で生活がはじまった。それにしても引越し作業で感じたのは、本の重さである。比較的小さなダンボールに本を箱詰めするのだが、なんだかんだとかなり重い。他の雑貨や衣類などもダンボールに梱包するが、かさばるだけで見かけは大きくても軽いのである。その点本のばあいは見かけは小さいがズッシリと重い。あまり所有していないと思ったが、箱につめるとけっこうな数になりいやになる。これからは本を減らしていこう。
引越しを決意してから自宅にある本を整理しはじめた。資料的に必要と思われるものは残して処分したいと思うが、なかなかその見極めが難しい。なるべく本を買わないように努めていたが、なんだかんだ増えてしまった。荷造りをしていて思うのは、単体ではたいした重さじゃないのにまとまるとえらく重くなること(なかには上製本でページもおおく単体で重いのもあるが)。前に「本が必要とされるのは情報であってモノじゃない」って話を聞いたことがある。昔から本が求められていたのは情報材なので、それに豪華な装丁とかをして値段を設定していた、という話だったと思う。つまりモノが売れない時代に本の価値というものが、あらためてとらえかえされている、ということかな。物質的な形態としては必要ないが情報として欲しい、ということはある。これ自体がかなり難しい問題なのだが、最近の電子書籍待望論というか過熱で、その方向が見えるようになったのではないだろうか。著作権保護の問題がクリアされていのかもしれないが、端末とかではなく普通のパソコンでも閲覧できる電子書籍やコンテンツをもっとたくさん提供してもらいたいと出版社なりに思ってしまうのだ。
キーワードや文章から連想して本を探してくれる「Webcat Plus」
いい本に出会いたい、新しい本を探していると言う方にオススメなのが、今回紹介する、文章から連想して本を探してくれる新しい形のブック検索サービス「Webcat Plus」。
http://designwork-s.com/article/154260299.html試してないので、どの程度使えるかわからないが、所在がわからないものもあるかも。
図書館やアマゾンとリンクしているとウレシイが…。
ロシア革命のボリシェビキたちはフランス革命を常に意識して
革命を考えていたという話を聞いたことがある。残念ながらそれが証明されていないようだが、
彼らの論争などで、フランス革命についての文章や宣言などを引用している文は読んだことがある。
その後の革命などで、そこまで歴史のパースティクビルをもって革命の計画・構想した話は聞いたことがない。
折にふれてフランス革命に関する本を読んでいる。
『フランス革命―歴史における劇薬』遅塚 忠躬(岩波ジュニア新書 1997年)
『フランス革命』柴田三千雄(岩波岩波現代文庫 2007年)
『フランス革命の思想と行動』河野健二
(岩波書店 1995年)
『ハイチ革命とフランス革命』浜 忠雄(北海道大学図書刊行会 1998年)
など…。
最後の本はかなり異色で植民地の概観(「殖民地帝国と黒人奴隷」)やその後経緯などに記述を割き、その観点からフランス革命のハイチへの波及と黒人主体の革命の関係を探っている。
ハンナ・アレントはアメリカ独立革命を成功した革命、フランス革命やロシア革命を失敗した革命と区分けしているようだが、状況や性格がまったく違うものを区分けすることじたいが
無理があるだろう。
むしろ失敗した革命(といわれている)にこそ、重要な問題がひそんでいるといえるだろう。
真山仁の『レッドゾーン 上』(講談社 2009年)を読む。
これは投資ファンドを率いる男を主人公にしたシリーズ小説の一遍で、『ハゲタカ』という小説はテレビ化されて一部で話題になっていた。
投資ファンドやマネーゲームについては、昨今の経済・金融情勢で話題にはなっているが
なかなか一般の認識としては不可解な部分があると思う。それを解消してくれるような小説だといいが…。
と思って書いてたら、なんと昨年に映画(「ハゲタカ」)になっていたんですね。
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http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_16857.htmlまあ、金のことしか頭にない、と思われていた主人公がなぜか、日本の企業買収を阻止するために
働こうとするのか、漠然としたナショナリズムなのか? そのあたりが説得的ではないので、あまりノメリこめなかった。アメリカや日本と中国のでかい金融機関や政治を相手にしているわりにはスケールが小さい。
そのあたりでちょっと読む気がうせた。
2009年6月公開!映画「ハゲタカ」原作 日本を代表する世界的メーカー・アカマ自動車に上海の投資家が株式買収をしかけてくる。アカマはハゲタカの異名を持つ鷲津政彦に企業防衛策の教えを請うが……。