太田出版から発売された少年aの本『絶歌』。実態としては本の情報ニュースサイトの「リテラ」などに流されたように、幻冬舎に本人からコンタクトがあり、金を貸して、本を書かせたが、結局のところ自分のところでは出せないとビビッて、太田出版に押し付けたという経緯だ。
少年Aの手記の仕掛人は幻冬舎・見城徹だった! 自社では出さず太田出版に押し付け!?
http://lite-ra.com/2015/06/post-1197.html
これは週刊誌にでているし、見城徹氏も認めているのでその通りだろう。
さてこの『絶歌』について、被害者からの出版差し止めの要求とそれに対応した出版した版元を非難する声、道義に反する、不謹慎であるとの批判の声が相次いだ。
この問題については被害者が存命している犯罪についての手記を、被害者の許諾なり、連絡のないまま出版されたことと、手記の内容があまりに自己中であるとか、自己陶酔の典型であり自己正当化がすぎる、という中味の批判がある。
本の中味についてはまったく読んでいないので、判断できないのだが、おそらくそうなのだろう。それについては望みうるような結論や他者や社会から要請され要求される反省文とならなければならない、という設定は人情としてはそうなのだろうが、ある意味自由に書いた結果としての文に道徳的な批判をしても、あまり意味がないと思う。
大事なことは、加害者や犯罪者の意思や体験が社会的に出てくることを容認することではないだろか。「朝日新聞」で森達也が、出版そのものについての非難については違和感がある、とやや戸惑いながらも表明していたのに共感する。