本日TBSラジオの朝の伊集院光のラジオ放送を聞く。ゲストでセルジオ越後(サッカー解説者)。
セルジオ越後が『補欠廃止論』(ポプラ社)を出したらしい。私は体育会系ではないし、そのあたりの情報なり経歴の話は少ない。個人的にも、すぐにその関連の部活もやめたので微妙なのだが、そもそも中学くらいは部員がすべて試合に出す、くらいの設定はできないものか?
こう話すと、能力差や競技の優劣の判断を無視するのか、という声が聞えてきそうだが、機会は平等に設定されなければならないのは基本である。どうも日本の部活というのはそれに中心的にとりくまないと認められないというか、片手間でおこなうことを許容しない。これは根性マンガなんかとも関連するかもしれないが、いろいろスポーツをつまみ食い的にやることは、はなから否定されているようだ。