今もそうかもししれないが、地域差別ネタというのがあり、ランニングシャツで外を歩いていても違和感のないのが
足立区である、というようなものだ。
橋本健二の「
階級社会」(講談社)はそのような話がのっていて、おもしろい。出典は泉麻人だが東京のパンチパーマ発生率がある。北部に多く発生し(北区、足立区、江東、墨田区など)西部はほとんど生まれないなど。
あるいははにわという芸人がうたう「佐賀県」の唄も佐賀のマイナー性、後進性をお笑いにして歌ったものだ。ただここには地域性はあっても階級性はみえない。
階級性をみいだせるものに花子の「河内のおっさんの唄」がある。河内にいる典型的な庶民のオヤジの特徴をうたったもので、これは笑えるものだが、差別的に嘲笑するものではなく、一種の共感があり、河内という下層庶民の心意気、誇りを感じることができる。
また食事に嗜好などでも階級をみることができる。江戸川区や墨田区などは
もんじゃ焼きのお店が多数あり、いわば地域食といってもいいだろう。いまでこそ東京都内の各地域にも店ができたが、そもそもあれは東京下町の食いモンなのだ。
漫画については橋本氏は梶原一騎に着目し、有名な『巨人の星』『愛と誠』『明日のジョー』の作品に階級性と階級闘争をみる。たしかに、いわゆる階級性に目覚めてたたかうわけではなく、いわば皮膚感覚的なたたかいであり、彼らのたたかいの根底に階級性が刻印されているということなのだ。
階級闘争が全面にでているわけではないが、階級性と地域性を表出している漫画はけっこうある『じゃりんこチエ』『工業哀歌バレーボーイズ』などがすぐに思い浮かぶ。
最近漫画はごぶさたなので昔の作品がどうしてもでてくる。今は手元にないので確認できないのだが、「
ザ・ダッキンボーイ」というマンガが階級としてみるとおもしろいのだ。今のマンガでいうと工業哀歌バレーボーイズなどの頭のわるそうな青年たちの人間の他愛もない恋愛模様やら、行き違いやら、ふれいあいやらのおかしさが充満している。
すこし説明すると主人公はチビで学ランを着た少年で、イメージでは俳優の佐藤我次郎ような雰囲気がある。この少年の家族はどうやら母子家庭のようで、母親はキャバレーに勤めているということがストーリーの合間に垣間見える。
この主人公はチンピラなのだが、蒲田の鉄ちゃんという愛称があり、地域のイメージが強烈にある。鎌田といえば場末であり、川を越えればそこは川崎である。この微妙な位置関係が重要だと思う。実は北のほうでも赤羽と川口は違いがある。同様に成増、小岩なども東京の際であり、エッジであり、崖っぷちなのだが、それを超えてしまえば次の街にそんな意識は浮かびあがらない。それは東京を越えたことによる落ち着きというか、むしろ都市の呪縛からはずれたことによる安堵感もあるのである。またしかし、東京に近いことによりステータスは微妙に高いのである(おそらく家賃は東京のほうが高いであろう)。ひと駅超えることで安くなるのだ。