小谷野敦の『退屈論』(河出書房新社)は、結論にいたる考察がおもしろい。
遊びの追求や快楽を謳う論者には「労せずして収入を得られ、これを『無目的』な快楽に充てられる貴族階級、あるいはランティエ(年金生活者)への憧憬がある。それは例えば今日の日本における永井荷風の人気にも反映されているのであ」ると語る。
それは蕩尽とか消費についても退屈をしのぐためのものだといいたいのだろう。しかしいずれにしても「退屈」はついてまわるから、「子育て」が最高の退屈しのぎだと結論する。
しかし「退屈」というのは豊かさの象徴でもあるわけで、金がなければ「退屈」を回避するための行動がとれないのではないだろうか、今はテレビがあるからそれで代用はできるかもしれない。
それでも退屈からは逃れられない。