カルチュラルスタディーズなんだと思うが、大衆とメディアが広範に発達して世界を覆っていったという時代に、戦争に関わる表象の文化を日本という軸から、さまざまな事象についての報告がなされている。ロシアやドイツ、イタリアなどがあるが、アメリカについての報告はない。
『
戦争と表象/美術 20世紀以後』(長田謙一編 美学出版 2007年)は2006年におこなわれた国際シンポジウムの記録である。
20世紀は戦争の絶えることなき世紀として終わり、21世紀もまた新たな次元の戦争の連鎖によってその幕をあけました。
本書は日本国内外の研究者25人の多角的な視点による議論を通して、20世紀におけるこの「戦争と表象/美術」問題に新たな議論地平をひらくとともに、21世紀の事態に立ち向かう理論的視座を探ろうとするものです。
(紹介文より)
■目次
はじめに
〈SessionI 日露戦争から15 年戦争へ〉
○再考・青木繁「海の幸」(一九〇四)――ゼツェッシオン/日露戦争 長田謙一
○日露戦争の戦跡 一ノ瀬俊也
○第一次大戦ドイツ人捕虜の芸術活動 安松みゆき
○雲崗石窟・写真・前衛 五十殿利治
○山口蓬春と戦争表現 水沢 勉
○コメント 次なるディスクールにむけて 丹尾安典
〈SessionII アジアと日本〉
○中国服の女性表象 ――戦時下における帝国男性知識人のアイデンティティ構築をめぐって 池田 忍
○アジア服復活 ――岡倉天心・インド・衣服の政治生命 ブリッジ・タンカ
○美麗と哀愁 ――戦争についてのある台湾画家の思い出 蕭 瓊瑞
○ネオ・ナショナリズム/タブーを破ること/世代交代 ――ヒトラー映画
『Untergang滅亡』(『ヒトラー 最後の一二日間』)と東条映画『プライド・運命の瞬間』について シュテッフィ・リヒター
○南京のレイプ 報道写真の多義性 若桑みどり
○コメント このセッションから学んだこと 久留島 浩
〈SessionIII 第2次世界大戦期 日本という国家と表象〉
○崔承喜の「朝鮮舞踊」をめぐって 木村理恵子
○「寓意」に代えて ――戦時期日本のシンボリズム 河田明久
○目的芸術としての戦争美術とプロレタリア美術 ―― 「昭和の美術」展を通して 澤田佳三
○戦時における機能主義デザイン ――工芸指導所の戦時期の実践とその位置 森 仁史
○大東亜における日本建築の新世紀 五十嵐太郎
○菊池寛と革新官僚と雑誌『日本映画』 ピーター・B・ハーイ
○一五年戦争期の博物館における〈日本〉の表象 ――「植民地博物館」との関係から 金子 淳
○コメント 戦時期日本と表象の文化政治 吉見俊哉
〈SessionIV 第2次世界大戦期 それぞれの国家と表象〉
○ロシア映画の転換期 ――ソ連崩壊・戦争・民族 鴻野わか菜
○アルトゥーロ・マルティーニとイタリア・ファシズム期の公共彫刻――アオスタ公記念碑をめぐって(序) 上村清雄
○原爆体験の表象/表現――研究の現状と課題 小沢節子
○写真と戦争犯罪――第二次世界大戦における国防軍の犯罪に関する論争 ウルリケ・ユライト
○「美の帝国」――ナチス・ドイツのデザインと「喜びによる力(Kraft durch Freude)」・「労働の美」の「美的主体」形成 長田謙一
○コメント 人間の尊厳を回復するということ 三宅晶子
著者:長田謙一【編】
まず「日露戦争の戦跡」一ノ瀬俊也が注目される、というのは、ここから日本国民への富国強兵のイデオロギーの普及宣伝がおおきな位置を占めていくようになるからだ。
南満州の日露戦争戦跡(45箇所)に記念碑を設置して、それらをすべて収録した写真帖が1930年に刊行されたという。
いっぽう第一次大戦後に昂揚した平和主義・自由主義、およびこれを賛美する社会状況への対抗という意味合いもあったという。
またこの時代に流行ったものとして戦時状況のジオラマがあり、旅順での海戦などは江戸川乱歩(浅草のパノラマ館である「
旅順海戦館」)や稲垣足穂が感銘を受けた見世物としてエッセイに書かれている。
浅草十二階計画 http://www.12kai.com/top_12kai.html
さらに錦絵などにも描かれている。
日露戦争絵聚 http://www.library-noda.jp/homepage/digilib/bunkazai/c.html
そうして満州事変以後は満州に日本人が増加し、それに伴いガイドブックがつくられるが、それには以下の特徴があるという。
1.肉弾突撃、精神主義の正当化
2.「犠牲の物語」の強調
3.そのような場所としての「戦跡」の増加
陸軍士官学校の生徒たちは朝鮮、満州の戦跡見学旅行をおこない、精神主義や肉弾・銃剣突撃の正当性を確認していったという。
これに連なるものとして金子淳「一五年戦争期の博物館における<日本>の表象」があるだろう。朝鮮、台湾、樺太などの植民地や占領地のいわゆる「植民地博物館」がどう日本を表象しているか。
産業・科学の博物館や動植物園・水族館などの施設を活用して「国民動員に協力すべき」という議論が一般的なものとしてあり、戦争が進行することにより南方の占領地が拡張し「大東亜戦争の完遂」のため(317ページ)に博物館が南方の風物・文化・資源を紹介して、国民統合の手段とすべしとの意見もあったという。
そして1942年に「南方展覧会」が開催されて、統治するための理解を広めたという。これは明らかに遅れた地域についての優位性を確認するものであり、支配の正統化をするめるものであろう。
まさに『大東亜共栄圏建設に際して「優秀な」日本の文化を「移す」という』(金子)ということだ。
さらに「占領地においては占領した建築物の一つを以って盟主日本を住民に認識させるべき日本博物館が建設されんこと」(東京科学博物館学芸官 今関六也)とも主張されている。
複雑なのはアジアへの眼差しは未開の地への優越性ともなるが、西洋に対しては屈折してものとなる「劣等感」から、シンガポール占領にともないラッフルズ博物館を日本軍が接収した状況に「日本にはない規模・内容の充実した機関を獲得した」ことで改めて、日本の博物館の貧弱さを思い知ることになり、旧宗主国のイギリスに対する憧憬と劣等感がないまぜになったようすがあるという。
『
近代日本の植民地博覧会』 山路 勝彦 (風響社 2008/2)では、台湾での首狩の風習のある原住民に対して、複数名を日本につれてきて文明国の状況を体験を与えて恭順させ支配の正統性を教えこもうとしたともいわれている。