五十嵐太郎の『「結婚式教会」の誕生』(春秋社 2007年)『戦争と建築』(晶文社 2003年)を読んだ。いまいちばんおもしろい書き手だと思う。
とりわけ「結婚式協会」の存在は建築のありかたを越えて、日本人のありかたを捉えなおすものとなっている。
いわゆる「結婚式教会」とは信者や牧師の存在しない施設で、結婚式というセレモニーのためだけにのみ建てられている。五十嵐によれば、このような施設があるのは日本だけだという。それは『ゼクシィ』や『けっこんぴあ』などのブライダル情報誌が出版されて、結婚式が式場からハネムーンを含めて、産業としておおきなものとなっていることの反映であるかもしれない。
その背景には、結婚式が一生のうちで晴れの舞台として注目されているということ、とくに女性にとってはかけがえのないものであるということ、それが証拠にはほとんどのカップルが式場も含めて結婚式がおこなわれるのが女性主導によるものだということがある。
『「結婚式教会」の誕生』には、神前、人前結婚式から教会前結婚式が支配的になっていく結婚式の変容が描かれている。映画・テレビの影響、とくに英国でのチャールズ皇太子とダイアナのロイヤル・ウェディングやテレビタレントの結婚式のテレビ中継などを挙げている。
女性のウエディング・ドレスを着たいという欲求は多いと思われるし、それに結びついた教会での結婚式を希望する例が多いのだろう。
このことで思い出したのが、アジアでの結婚写真の話しだ。中国では式を挙げたカップルが教会前や西洋建築の前で記念撮影をすることがはやっているという。撮影のためだけに利用をして式事体はどうなのかわからないのだが、ベトナムなどでも同様の流行があるという。
これはイメージの消費としての「結婚式」であり、基本的には日本でのありかたと共通するものだ。だから精神的なものは必要なくて、現実の教会ではなく教会らしき建物が求められるのだろう。
今の教会はモダンな建物として建て替えられたりもして、かならずしも西洋風のゴシック建築の建物ではない。そのせいもあり結婚式ためだけの教会が建てられる。