上杉隆というジャーナリストが下記のような問題提起をしている。
筑紫哲也氏は本当に賞賛すべきジャーナリストだったのか http://diamond.jp/series/uesugi/10053/?page=3
日本の風土では死者を賛美しほめこそすれ、けなすことはしない。確かに「死者にムチ打つ行為」という言葉があるように、反論できない人に対して批判や非難はさげすまれているが、しかし、そのような体質が日本国家を身内の大甘な社会として成立させているのではあるまいか?
さきの大戦についても、自国の軍隊が他国へ侵略したことを認めない指導者がやたら輩出されるという、けじめのなさを生んでいるのではないか。大げさな話しとなったが、筑紫哲也という記者は大衆的なテレビの世界に進出した時点で、既に終わってしまったと考えている。
テレビで顔を売る以上は、有名人とも対等につきあえるし社会的影響もぜんぜん違う。それはその道を選択した以上はしかたないことだが、テレビキャスターというのはジャーナリストとちょっと違う立場だろう。
その意味で新聞記者時代とテレビキャスター時代では評価が変わってくると思うが、以上のようにテレビという制約もあり、商業的な世界では限界があったということでテレビ時代については、所詮はテレビキャスターという評価しかできないのではないか。
まあ具体的には上杉隆も書いているように辻元清美など、特定の政治家などと親しくなり、それが思想・心情的な親近感となって、さまざまなことを追及できないようにも見えたことはあった。
このことは今テレビキャスターとしてチャンピョンの田原総一郎についても同様に思っている。