朝のTBSラジオで元号について東大名誉教授の月尾嘉男が話していた。
きょうは「平成」という元号が発表されて20年がたつらしい。つまり20年前の本日元号があの小渕によって掲示されたから20年ということ。
月尾嘉男の洞窟
なんでも元号は中国にはじまり、その影響にあったモンゴル、ベトナム、朝鮮、日本で採用された、という話。
そして中国、ベトナムは共和国成立と同時に廃止となったようで、韓国でも60年代に廃止になったとか(このあたりは寝床でねぼけて聞いていたので不確か)。
北朝鮮では金日成の時に元号を採用したらしい。その後はどうなったかは言及せず。
そのうえ、実は元号を採用しているのは日本だけなんです、とアジアの一部地域、それも中国で発生したシステムをあたかも大切なもののように表現するのはいかがなものか?
仮に北朝鮮で元号を採用し続けたり、したら(あるいは再度採用したら‥)、奇妙な符号がみえてくるともにかたちこそ違えど個人崇拝の制度の残る<王朝支配の象徴>としての元号制度がみえてくるのではないか?
廃止した国は<個人崇拝あるいは世代の象徴>の制度となる根拠がないため必要がないからだ(共和制国家)。
元号はめでたいこと、災難があったときは変えたりしたらしい。それゆえ皇帝が同じでも元号の変更があったそうな。
日本のばあいも元号はけっこう変わっていて、天皇と元号の数があわないようだ。元号が天皇の世代ごとに設定されるのは明治維新になってから決められたらしい。
元号も法律化されているようだが、義務とはなっていない。
世論調査では「元号」を使用することが賛成多数だと紹介したが、その中身は不明だ。そもそも世論調査で元号と西暦で二者択一だったら変わっていただろう。
不使用に反対なだけで、日常的に使用することが本当に賛成なのかは踏み込んで考察しないとわからない。
いずれにせよ元号は天皇のはじまりと終わりを象徴する時代区分なわけで、それをやめることに賛成なのだが、一歩譲って公文書には使用しないほうがいいだろう。
追記)
以下ネット辞書で調べてみた
元号http://www.weblio.jp/content/%E5%85%83%E5%8F%B7
するとやはり北朝鮮では金日成の生まれた年を「主体暦」としているらしい。継続中。
韓国でも非公式ながら
その後李承晩政権時代には神話上最初の君主とされる檀君が即位した紀元前2333年を元年とする檀君紀元(檀紀)を採用した。1962年からは西暦に切り替えたが、その後も非公式に檀紀が使われることがある。
ということなので、「世界で日本だけ!}などと強調すること(月尾)が恥ずかしいという気になってくるではないか。
今はウィキぺディアなどがあるから瞬時に調べることができる。
このあたりは学者が偉そうにしゃべってもありがたみが薄れる要因となってるんだろうな。